The Way to Open Source of Cobalt
2001年の1月、私は「この先、Cobaltの未来がどうなるのか、 1998年にそう思ったのと同じように、私は楽しみにしている」と書いて、 Cobalt の起業にまつわる話を締めくくった。
いままた、私を 1998 年のあの頃のようにわくわくさせることが起きようとしている。 Cobalt が Qube3 のソースコードをまるごとオープンにしようとしているのだ。
再び Cobalt とエキサイティングな日々を過ごせることを私は幸せに思う。

June, 2003.
Yutaka Yasuda, Cobalt Users Group.
(usersgroup@cobaltqube.org)

買収から RaQ550 まで

Cobalt 社は2000年の9月、Sun に買収された。 2000年末に買収手続きが完了し、Ellis street 555 にあった Cobalt 社のオフィスの入口にあった Cobalt ロゴは Sun Microsystems にそのまま置き換わり、建物は番号で呼ばれるようになった。 この頃から US の経済学者が New Economy などと呼んでいたネットバブルにかげりが見えはじめ、 他のほとんどすべての会社同様、Sun の業績も今まで Sun が経験したことのない右肩下がりのカーブを描くようになった。つまり Cobalt はいつものようにギリギリの綱わたりを今回もやってのけたことになる。 もしこの時期に Cobalt が買収されていなかったら、Cobalt の株券は紙くずになっていたかもしれない。 そうなる前に安定したスポンサーを見つけることに成功したのである。

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当時の好景気のもとですら黒字とすることが極めて困難な ハードウェア製造会社であった Cobalt だが、 買収直前の四半期決算には単期でイーブンのところまで到達していたと聞いている。 他の多くのソフトウェア会社と同様に、期待値としか呼びようの無い、 実体の無い株価だけで黒字を算出するようなことにはなっていなかったのだ。 当時の雰囲気を覚えている人には、 Cobalt がビジネスとしてどれだけ成功していたか、 安定した資金を得ることがどれほど重要な局面にいたか、分かってもらえると思う。
そしてこの買収劇のすぐ後、2000年10月に Mark Orr は Cobalt から離れた。

この後、Cobalt にとって Sun が果たして良い父親かどうかが皆の話題となった。 多くの噂が飛び交うなか、Cobalt は Sun のもとでまっすぐ飛び続けた。 Chili!Soft はそのまま開発・販売ともに継続され、Qube3 のロゴマークは Sun Cobalt となった程度でそのまま継続販売された。 特に日本で懸案だったサポートサービス窓口も整備され、 アプリケーションソフトもその対応を増やしていった。 新しい Sun Cobalt ブランドは特に大きなジャンプもない代わりに、 沈むこともなく、ただ静かに市場に浸透していったのである。
そして2002年の4月には Sun による買収と二つの会社のマージという重要な仕事にひと区切りをつけた Stephen DeWitt も Cobalt から離れた。

2002年の9月、長い沈黙を経て買収後はじめての製品と言えるRaQ550が発表された。 Qube3 に実装された Sausalito に基づく運用管理システムをマルチドメインに 対応させた製品であり、高速なCPUが登録サイトを増やした時の安心感を高めていた。 実際、ながく Cobalt を見続けていた私たちにとって RaQ550 は実に機能と性能のバランスがとれた「できの良い」モデルであり、 Cobalt はこれで一つ大きなステップを踏んだと言える良い製品だった。 それを裏付けるように、市場にはもはやアプライアンスとしての競争相手は存在していなかった。
Cobalt は発表以来 5 年を掛けて、遂にここまで到達したのである。

End of Life

ところで RaQ550 の発表は、RaQ4 からずいぶんと時間が経過してから行なわれた。 また Qube4 の話はこの時期でも存在せず、 Qube シリーズが継続されるかどうかは不透明な状態だった。 その状態で 2002 年の 9 月には Cobalt ブランドとして LX50 が発表されている。 これはアプライアンスではない、普通の PC/AT アーキテクチャの 1U サーバである。 当時は Generic Linux などと呼ばれ、Sun Linux 5.0 と名付けられた RedHat とほぼ同じ内容のディストリビューションとともに提供された。 Sun にとって初めての x86 ベース、非 Solaris ベースの汎用マシンである。 アプライアンスとしての Cobalt の先行きが心配されていた。

このすぐ後、2002年の10月には Vivekも Cobalt を離れた。 このとき Cobalt オフィスが Ellis street から離れ、スタッフは Menlo Park にある Sun の Network Circle キャンパスに散り散りになって移っていったが、 Vivek は彼の愛した Cobalt Team とともにそこに移ることはなかったのである。
買収そのものが敵対買収でなかったにせよ、結果的に Cobalt というサーバアプライアンス製品は、Sun という会社のなかでは縮小傾向にあったと言わざるを得ない。 もちろん忘れてならないのは Cobalt 買収から以降、不運にも Sun 全体がそれまでに経験したことのない縮小ムードのなかにあったという事実である。 Sun はこの頃会社はじまって以来初めてのリストラを行なっている。

遂に 2003年の5月には Qube3 の End of life が明らかになった。 5 月末には Last buy を迎え、7月4日が Last Sellである。 もちろんサポートは継続されるし、RaQ550 は継続販売されるのだから Cobalt サーバアプライアンスが世の中からなくなるわけではない。 しかし常に Cobalt のシンボル的存在であった Qube がこれで商品としての生命を終えるという事実は、 Cobalt ユーザにとってはやはり寂しいものだった。

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Open Source へ

Qube3 の End of life に先立つ2003年の2月、私は Cobalt Team から Open Source 化を真剣に検討したいので至急に連絡が欲しい、というメイルを受け取った。
回送されてきたそのメイルには、tomorrow evening と書かれていた。 これは昨日のメイルだったから、会議に間に合うためにはあと数時間しかなかった。 すぐに国際電話を掛けたが彼は不在。留守番電話に電話をくれとメッセージを残し、 念のためにこちらの電話番号をメイルで送ってジリジリと待つこと数時間。 なんとかコンタクトできた時は実にほっとしたものだ。
Open Source 計画はそれから徐々に進み、 2003年7月、遂に Qube3 のソースコードがリリースされた。

ユーザ会は Open Source 計画についてそれほど多く働きかけたわけではない。 Sun の社内で、どのようにこの計画が進んだのかも分からない。 ただはっきりしているのは、Cobalt の Soul とも言える Qube は、 そのハードウェアの製造終了では死ななかったということだ。 その DNA は Open Source の海のなかで永遠に残ることになった。
もちろんただ DNA が歴史に残ることだけで満足しているわけではない。 いまや Open Source となった Qube の前には大きな可能性が広がっている。 1998 年のあの頃のように、私はその可能性の大きさにドキドキしている。

Cobalt の DNA は新たに得た Open Source の海でその体を少しずつ再生し、進化していくだろう。 私は、Cobalt Users Group とともにその過程に関わることができるのを幸せに思う。

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